ヒプノセラピーサロン・レインボー
ヒプノセラピーサロン・レインボーは、西荻窪駅南口から徒歩2分です。
『薔薇の館』と、天使のお話
かつて、原宿に、『薔薇の館』という、ティーサロンがあった。
原宿と言ってももちろん、大人の原宿である。私が歩いて行く時は、竹下通りの横を入り、狭い裏通りの個性的な商店の並びを横目に歩き、突き当たりの昭和っぽい、古びたコンクリートの不思議な階段を上って行く。 そこから少し歩くと店の前にたどり着いた。 貴族の時代のヨーロッパふうの雰囲気のある素敵な建物で、その外観を見上げると、何かアリスのトンネルでもくぐり抜けたような気分になった。
そう・・・20年も前。昔すぎて私の記憶も確かではないが、若い人たちの喧騒を離れたそんな場所に、その店はあった。
そのティーサロンのオーナーだったのは、今田美奈子(いまだみなこ)さんという洋菓子界の巨匠である。 元横綱 貴乃花と河野景子さんの結婚式の時、そこで河野さん自身が今田先生の指導を受けて、ウエディングケーキの製作をした事を、ご存知の方もいらっしゃるかと思う。
私がそこを初めて訪れたのは、それ以前、これもかつて、学研という出版社が、『エルフィン』という、占いや不思議なお話を毎号いろいろと載せた月刊誌を出版していたのだが、そこに今田先生が、ご自身で体験したマリー・アントワネット妃にまつわる不思議なお話として、数回にわたりエッセイを寄せていた。 それを読んで、お菓子と見えない世界の不思議が大好きな私は、「こんなふうな神秘的な体験談を持つ先生の、ティーサロンにぜひ行ってみたい!」 と思ったのだ。
少し緊張した面持ちで、アンティークみたいな素敵なドアノブに自分で手を掛け、ゆっくりと開ける。そうして中へと入って行くと、そこには優雅なティーサロンの空間が広がっていた。
美しい花が花びんに活けられた午後の店内はほの暗く、席数もそんなに多くはなかったと思うが、来ている人たちは皆、その雰囲気に溶け込んで、お茶とお菓子と会話を楽しんでいた。 二十代の真ん中くらいだった私も真似してはみたが、あまり似合わなかったかもしれない。
テイクアウトできるお菓子も販売しており、私が気に入っていたのはカヌレという素朴な焼き菓子だった。 3歳の子のげんこつくらいの大きさの、波型のみぞのあるプリン容器みたいな型で焼いたものだ。 表面は地味な、灰色がかったこげ茶色で、やや固い。 ナイフで割ると、中はしっとりもっちりしたクリーム色のスポンジで、独特の食感だった。 薄く蜜蝋(みつろう)を塗った焼き型で焼くのが本場のカヌレということで、表面がうっすらと、プロポリスの錠剤みたいな、これまた独特の香りがした。 めずらしいお菓子だった。 他にもいろんな焼き菓子や、数種類のケーキがあった。 ここ以上に正統な味わいの、それらのお菓子を食べられる所なんてないんだろうなあ・・・などと思いながら、ひそかな優越感にひたりつつ食べていた。 ヨーロッパの正統な文化の香りを、そんなふうに、お菓子を通して楽しめる幸せをかみしめた。
今田先生の本の中のお話によると、先生とゆかりの深い、マリー・アントワネット妃が好きだったお菓子の一つに、クグロフという焼き菓子があったのだという。 斜めの波型の模様の入った金属の丸いケーキ型の真ん中に、さらにすとんと穴が開いているリング型のクグロフ型で焼く。 どんな味のレシピを王妃が好んだのかは知らないが、だいたいクグロフは型の形がかわいらしいので、シンプルにそれを活かしてデコレーションなどもほとんどない。(粉砂糖の雪化粧をするくらい・・・)。 使った素材の味わいを楽しむシンプルな焼き菓子。素顔のアントワネット妃には、きっとそんな一面があったのだろう。
店を訪れた最後になった日、いつもは閉まっていた店の二階部分の窓・・・ヨーロッパの建物によくあるような、真ん中から押し開けて、左右に開く開きとびらの窓が偶然開いていて、室内が見えていた。 そこには壁にかかった一人の貴婦人の肖像画の額があり、こちらをのぞいていた。 今田先生のお店だから、あれはもしかしてマリー・アントワネット妃かな・・・などと思って、道路越しにしばらく眺めた。
その一年後くらいに訪ねた時には、店は閉店してしまっていた。 貼り紙がしてあった。 それを読みながら、あの貴婦人はきっと、私がこのお店に来るのもこれが最後だ・・・という事を知らせてくれたんじゃないかな、と思った。
今田先生はまた、ご自身で体験なさった、天使にまつわるエピソードを書いた本を出版なさっている。
先生がそれまでに、お菓子の世界を広く大きく広げて行く過程の中でさまざまな困難に出遭ったが、その苦しみや挫折の時に、どのようにしてそういう目に見えない、でも確かにいる存在に手助けされたか、あるいはお仕事が大きく発展する時も、どんなふうな不思議なめぐり合わせが起きてきたか・・・という体験が綴られている本なのだった。 それを今田先生は、『天使の存在に助けられた』 という書き方でおっしゃっていた。
このたびのブログのタイトルとテーマは、実は天使の事ではなかったのだが、そういう流れになってしまった。(本当は『ベルサイユのばら』について書こうとしていました)
私は天使のことは、実はあまりよく知らないのである。
けれども、そういう流れが起きてきた。
ですので次回は、 天使といわれる存在について、考えたり、浮かんできたりした事について、書いてみようと思います。
お客様の目委員会
数年前、ファンケルで、『お客様の目委員会』 という仕事をしたことがある。
ファンケルとは、化粧品やサプリメントを製造販売している、言わずもがなの、あの大会社である。
その仕事の内容はどういうものかというと、全国の地区ごとに、ある一定の基準のもとに選出された総数百名くらいのファンケルの一般のユーザーが、委員会の者だということは伏せて、一年間自分の地区内にある、ふだん利用している直営店や、電話での通信販売などをを利用し、その時の販売員や電話口の応対、あるいは店内の様子などの評価や意見を、送られてきたレポート用紙に記入して、また返送する・・・という、言い換えればプロではない、お客様目線での覆面(ふくめん)調査員の仕事なのだった。(覆面なんて、ちょっと聞こえが悪いかなあ・・・)
引き受けるかどうか少しだけ迷ったが、ファンケルという企業に興味があるし、製品が大好きだったこともあり(金銭的な報酬は、ボランティア要素の大きな仕事だったので少なかったが) 私はそれに参加することにした。
一年間のうち数回、決められた時期ごとに送られてくる、依頼の指示に従った仕事を行ない、その結果をアンケート形式で尋ねられた質問に対し、昔の小中学校の成績表のような5段階評定のうちのどこかに丸をつけ、それからどうしてそのように感じたのかという理由を、その人なりの意見として書く欄に感じたままを書き込む。
それは、最初予想していたよりも難解な、骨の折れる仕事だった。 一つの製品あるいはカテゴリーごとに、細部にわたって似たような事を、考え付く限りの角度から質問して来られる・・・という感じだったので、たくさんある同じような質問の回答欄に、少しでも変化のある答えを考え出さなければならなかったからだ。
月日は流れ一年経って、依頼も最終回を迎えることとなった。 一番最後に、『これからのファンケルに期待する事、他に気がついた事など、何でも自由に記入してください』・・・という項目があり、それには紙丸一枚分の記入欄があてられていた。
私は、ファンケルがどこかとコラボレーションして開発し、取り扱っている、キッチン用と洗濯用の洗浄剤の販売の拡大・促進と、あとはこれまで20年以上に渡って、美容や健康さまざまな面でサポートしてもらっていることへの感謝の気持ちを書いた。
私がファンケルの製品を使い始めたのは、まだ大企業へと変貌する前のファンケルで、新聞の折り込み広告の『無添加』という言葉にひかれて取り寄せたのが、きっかけだった。
使ってみてとても心地よく、安心感があった。強いにおいもしない。
創業者の池森氏は、添加物の入っていない化粧品がその当時まだ存在しなかったから、最初は奥様のために、一人でそれを始めたのだという。
それからしばらく経って、今度はファンケルは、サプリメントを販売し始めた。 「健康食品の価格は、ファンケルが下げる!」とか何とか言って、原辰徳さんが、飛んできたボールをバットで「カキーン」と、爽快な音で打ち返す、当時のCMを覚えている。
事実、その頃売り出されていた、一般的なサプリメントの価格よりははるかに安い値段で、ファンケルはBやCやEといった基本のビタミンの取り扱いを始めた。
お客様の目委員会が最終回を迎えた後、ファンケルがそれぞれの地区ごとに、委員会のメンバーの労をねぎらって食事会を催してくれた。
関東地区のその場所は、銀座のファンケルスクエアビルだった。 およそ銀座という場所にそぐわない私だったが、楽しみにしていそいそと出掛けていった。
私は単純に、ほかの委員会の皆さんとの交流というふうに考えていたのだが、そこには池森氏(その時は社長職を退いて会長だった)をはじめ、社長・役員その他、ファンケルのメインブレーンのほとんどが来ており、私はありえないと思ったのだが、そうそうたるその方々は始終おだやかで気さくに振舞ってくださり、私たち招かれた者をかしこまらせたりすることもなく、興味深いお話もたくさんしてくださり、本当に楽しい時間だった。
帰りにお土産をいただいたのだが、中くらいの紙袋の中には基礎化粧品がいろいろと入っており、他に池森氏の著書である『やさしさと感動のこだま』 という本が入っていた。
そこには氏が、戦後の貧しい時代に思いがけない事故で父君を亡くされ、母君の手一つで、複数のの兄弟と共に育てられた事、その苦労や心傷、少年期の学校での先生とのエピソードや、ファンケルを一大企業に成長させるまでに、氏に関わられたたくさんの人々とのエピソードが、温かくてすてきなイラストと共に綴られていた。
それを読んで、ファンケルがなぜそんなにも、私たち普通のユーザーを大切にしてくれるのかが分かった気がした。
貧しいゆえの苦労を、その悲しみをいやというほど味わった、氏の少年時代。
だから、できるだけ多くの人に、毎日使える価格で喜びや幸せを感じてもらいたいという願いが、ファンケルの製品を通して表現されていたのだと。
池森氏は、もともと特別な・・・天賦の才を持っている人だったのだ。
でも、少年期や、成功するまでに味わった苦労や苦難は、けっして人並みではなかったと思う。 そういう意味において、天は誰一人分け隔てはしないのだろう。
人間が人間そのものを好きになれば、必ずそこに、心を寄せてくれる人たちが集まってくる。
私たちは、もっと個人の力、一人一人の輝きをあなどってはいけない。
すごいものじゃなくていい。それぞれが、今いる場所で出来ることでいい。個人がもっと持ち味や個性を発揮し、輝けば、誰かの痛みや喜びに心を寄せれば、必ずや世の中は、良い方向に転じていく。
日本の偉大な冒険家、故・植村直己さん
私が植村直己さんを知ったのは一体いつの事だったのだろう。
たぶん小・中学生くらいの時に、ニュース番組や何かで見聞きしたのが初めてだったのだと思う。
『犬ぞりで、北極点単独行の成功!』 のニュースが、世界的に報道された植村さんの、その後の私の記憶は、『マッキンリーの登頂に成功後、消息を絶つ』 というものだった。 一部報道で、その後連絡がつき、無事が確認されたような事を言っていたが、さらに時間が経つと、彼の消息は不明という報道に変わっていった。
植村さんを大冒険家と、やっと初認識した日。それはさらに時が経ち、もう過去の人となった植村さんの、ドキュメンタリー番組の放送だったのかもしれない。
記憶の中の植村さんは、欧米系の外国人を相手に、ジェスチャー交じりに一生懸命何かを説明していた。
それは、ある高山に登山を決行する許可を得るため、話す相手を懸命に説得しようとする試みであった。
植村さんは、単独での高山の登頂を成功させるため (だったと思う)、荷物は出来るだけ軽くするなど、極力無駄な負担を減らす工夫やアイディアの説明をしており、セーターだって、いざとなったらズボンの下ばきにも出来るんだと、両袖の部分を両足にはいてみせたり、他はもう覚えてはいないが、とにかくその熱意は、偶然にぼんやりと見ていた私にさえも伝わって来るものだった。
植村さんの冒険には、いつも事前の充分な下調べと、入念な下準備があったという。
周囲の関係者にできるだけ迷惑をかけないよう、そして挑んだ冒険を必ず成功させるという、強い決意があったからこそだと、関係者は述懐していた。
3日ほど前、古本を扱う店に行った。 目当ての本は見つからず気落ちしていたら、代わりに見るとも無しに、植村さんの名前の本の背表紙が、目に飛び込んで来た。
「本から呼ばれた」 ・・・そんな気がして手に取りぱっと開くと、数行読んだ先になんと私の名前があった。もちろん、それは名前の意味で使われていた単語ではない。 そして、『いけだ』ではなく、『サブレ』でもない、実名であった。
安かった事もあり、すぐに買って、家に持ち帰った。
その日は仕事が休みだったので、それからしばらく、他の事は何も頭をよぎらず、ただ夢中で読んだ。 そしてほとんど読み通してしまった。
植村さんの冒険が、その時々の心情が、彼自身の飾らない言葉で、 活き活きと、時に生々しく表現してあった。
ぜんぜん格好をつけていない。 ありのままの感情。喜びと、落胆。 時に怒り憤り、葛藤、逡巡する・・・。 私たちと、何も変わらない。 ただし、植村さんは、常にたった一人の冒険の孤独の中で、自身の内にある、もう一人の負の自己と闘っていた。
そして、目的の地に到達したときの歓喜!!
前人未到の大冒険の成功が、その後たくさんの人の人生に、勇気や希望を与えた。
自身の全てを賭けて、生命の極限に自分を追い込む。
「なぜ、そんな大変な苦労を、わざわざするの?」
と、植村さんに問うてみたら、どんなふうに返事をされるだろうか?
「それが、一番やりたかったことだから」
私なら、そんなふうな答えが返って来るのではないかと、想像してしまう。
植村さんは、自分の肉体を、生命を維持しうる極限の条件下に置かないと、あるいはそういう日々を作らないと、きっと生きている気がしなかったのではないだろうか。
彼の、生命の真の躍動、きらめきのある場所は、そこにしか無かったのでは、と。
私たちは、やりたいことをしている人生を送っているだろうか?
日々の生活に追われて、本当に自分が心から喜び楽しめる事を、案外ないがしろにしてるんじゃないだろうか?
私もかつては、それが分からない人だった。
生き変わり死に変わり・・・転生輪廻することで、人のたましいは成長しているという。 少なくとも、これまでの催眠療法を築いてきた優れた先達たちは、被験者から異口同音に、生命とは、そして人生とはそういうものである・・・と、聞かされてきたという。
人は、愛と内なる喜びに向かって生きるものだと。
そして以前の人生で到達したより、更なる高みへ行くために、人は一つの人生を終えた後また生まれ変わって、新しい人生を歩み始めるのだと。
だから、何を始めるのにも、遅すぎるという事はけっして無い。時の制約などというものは、本当には無いのだから。
私も、日々学び、きっと成長できている事に、感謝して。。。
J-WAVEと、きゃりーぱみゅぱみゅ
こんにちは!
ここ数日うだるような暑さですが、皆さまはお元気でお過ごしでしょうか??
セミの鳴き声もちらほらと聞こえ始め、季節はまさに本格的な夏を迎えたようです。
ところで最近、ラジオのFM放送に耳を傾ける事が多くなってきました。
81.3メガヘルツのJ-WAVEです。
今年になってからつけ始めたのですが、最初はBGM代わりで、ほとんど聞いていない状態でした。
うちにはテレビというものは無く、(正確に言うと、昔タイプの大きなヤツはあるのですが、DVDやビデオテープ(アナログ!)を見るときにしか使っていず、ここ何年かは、紅白もワンセグで見ています。
そしてその昔テレビ、昼間は敷布団をひっかけて干してあるし。。。
つけっ放しにしていると、うっかり見ることに気を取られて、いつの間にか時間が過ぎてしまっていたりして、後から後悔する事も多く、思い切って地デジに変わる時つながない決心をしたのです。
しばらくはパソコンで主要なニュースを選んで開き、そこから世間的な情報を仕入れていたのですが、そればかりだと、どうも情報がかたよる事に気づいて・・・。
特に、政治や経済のニュースは、私にとってはあまり関心をひかれないもので、ついつい疎遠に・・・。「やはりそれではいかん」 というわけで、ラジオをつけ始めました。
そうしたら・・・。
これが思いのほかおもしろかったんです。
時事ニュースは1時間間隔くらいに放送されるので、必ず耳に入るし、今どきの曲はジャンルを問わずいつでも流れている・・・。
ついでにラジオの強みは、昔のヒット曲も、忘れていた大好きだったアーティストの曲も、今の曲の合間に織り交ぜられて、あたりまえに流されている事・・・。
びっくりしました! テレビの歌番組では、そういう事はほとんどありませんから。
懐かしい香りに、昔の思い出がありありとよみがえってくるように、懐かしい思い出の曲もまた、それが流れていた時の、その時代を生きていた自分自身や、味わっていた思いや情景を、せつなくなるほどよみがえらせてしまうのです。
私ったらいつの間にやら、ずいぶん長生きしちゃってるんだな~、なんて、あらためて実感したりして(~_~;)
ところで、きゃりーぱみゅぱみゅさん、名前もそうですが、歌う曲も見た目もすばらしい個性ですね。 今をときめく若い女の子の中でも際立っているのではないでしょうか。
奇抜なだけでなく、なんか不思議とポジティブなエネルギーにあふれている。 なんか元気を分けてもらえるような・・・。
彼女は自分自身が好きで、またよく知っているからこそ、きっと表現できるんですね。
私たちもまた、みんなそれぞれ個性あるすばらしい存在です。
それを自分が認めて、自分なりに表現していく。 何よりも自分の心を元気にするためです。 そうする事で、少しずつ自信がつく・・・。また、そういう小さな勇気を持てた自分をほめたくなる、好きになる・・・事ができるのではないでしょうか。
若かった時代の自分に言ってあげたいな。
自分のこと、自分自身であることが良かった! って、きのうよりも言えたら、それまで見えていた風景が、また違って見えて来ると思うんです・・・。
はじめまして!
ヒプノセラピーサロン・レインボーの、ホームページを開設いたしました。
どうぞよろしくお願い申し上げますm(__)m
ブログを書くのも初めてで、なんだかちょっとおっかなびっくりという感じですが・・・(ちなみに私の娘は中学生ですが、小学生のころからアメーバでブログをやっており、写真も貼り付けたりなんかして、私よりもずっとパソコン慣れしています(~_~;)
さて、本題です。
ヒプノセラピーは、年齢性別を超えて、どなたが受けても良いものです。
受けてみよう、あるいは、試してみたい・・・と思ったときこそ、その方の人生の、その時点での癒しや学びがあるという事だろうと思います。
人生の分岐点における決断、あるいはさまざまな悩み事がある時、それがとても大切で、また大きなものであるほど、その事に対するより高い意識の世界からのメッセージを、私たちは誰しも求めてしまうものだと思います。
手相占い、星占い、あるいはカードを使ったご託宣・・・。 または、神社やお寺など神様をお祀りしてある場所を詣でて、お祈りやお願いする・・・。
求め方は様々ですが、私たちがそういう事を通して見えない世界からの大切なメッセージを得ようし、あるいは気持ちをゆだねようとするのは、人知を超えた英知がこの世にあり、それが霊的な直感を通してもたらされるものだと、無意識のうちに知っているからなのだと思います。
そして、それを汲み出すことのできる方法の一つが、ヒプノセラピーです。
ヒプノセラピーは、自分自身が直接それを体験できるという点において、貴重で感動的な方法だと思います。
でも、催眠なんて・・・ 料金もあまり気軽じゃないし・・・ と、思われる方も、きっと多くいらっしゃるはずだと思います。(私も、子育て中の身ゆえ、そういう事はとても気になります!)
ですから、思い立ったら出向いて、気軽に占ってもらえる占いサロンの感覚で・・・という気持ちで、私のサロンを開業いたしました!
どうぞ、よろしくお願いいたします。^^
私たちは、誰もが貴重な、霊的な存在です。
それをより多くの皆様に感じていただきたい・・・。
そんな願いを持っております。
それでは、また!