ヒプノセラピーサロン・レインボー
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恐竜の時代から
恐竜・・・なんて魅力的な生物なんでしょう!
ただ好きなだけでくわしい知識などほとんどありませんが、私は恐竜が大好きです。
あの大きさといい、姿かたちといい、本当に魅力的です。 あんな巨大な生物が、太古の大陸に群れなして、悠々と足音の地鳴りを鳴らして歩いていたか思うと、どうにもわくわくしてしまいます。
動物園に行くと、サイを見ることがいちばんの楽しみです。 なぜならサイの風貌は、ケラトプス科の恐竜によく似ているからです。 えり飾りこそ無いけれど、よろいを着ているようなあのボディ、顔の部分に角を持ち、くちばしを思わせるようなあの上唇の形と、まったくもってそっくりだと思います。
また、ゾウもすごく魅力的。 現在地上では、アフリカゾウがいちばん大きな生き物であるといいますが、動物園で見るゾウがあんなに大きく感じられるのに、この何十倍もの大きさの生物が、大昔に普通にたくさんいて、人間のごとく地上の繁栄の長なる生き物だったなんて、地球の・・・生物の歴史とは、なんとも神秘的で不思議なものです。
ちなみに恐竜は、ほ乳類とは違って、生きている間中成長を続ける生き物だったそうです。 そのため、長生きしたカミナリ竜などは、信じられない大きさにまで成長したらしいです。 (カミナリ竜とは、長~い首を持つ、高い木の上の葉をバリバリ食べる、草食恐竜の事です。 ふつうサイズの体長が、長い首の頭から、尾の先までが30メートルくらいだったそう。)
でも恐竜も、その創生期より、何回かの大規模な地殻変動や、それに伴う気候の変化のたびに、ほぼ絶滅の危機を何度か迎えながらも、また盛り返し繁栄する事を繰り返して生きてきました。 そして、最後にやって来たグレート・インパクト(隕石衝突) が決定打となり、完全に絶滅してしまいます。
しかしながら、隕石衝突が恐竜絶滅の決め手となるも、実はそれ以前から数を減らし続けていたらしく、恐竜が絶滅するのは見えていた未来でもあったといいます。 恐竜を絶滅に至らしめる道筋を作ったのは、以前にも何度か迎えた絶滅の危機同様、ほかならぬ地球自身だったというのです。
さまざまな研究により分かってきた事だといいますが、恐竜時代の末期に、想像を絶する大規模な火山の噴火と、それに伴う地中からのマグマの噴出により、インドのデカン高原が作られたといいます。 ぼう大な火山ガスと噴煙が、日照量を地球規模で低下させ、さらにはその影響で雨が酸性雨となり地上に降り注ぎました。 肥よくな緑で覆われていた大地が、その影響で一変します。
単に、隕石衝突そのものが恐竜の絶滅の原因だとしたら、ある決まった時間のうちにすべての恐竜が死に絶えていたはずですから、それ以前よりその数と種類を減らし続けていた事、絶滅時代とされるよりも前の地層から発見される、ほとんどマグマ内部にしか見られない重金属などの成分と、その前後に発見される恐竜の化石に明らかな違いがある事などからも、恐竜の歴史がすでに幕引きの時を迎えていて、そして隕石衝突という決定的事件が起こり、恐竜の時代は完全に終わりました。
そしてその後は、今の時代に続くほ乳類が、長い年月をかけて進化・繁栄していく事となったのです。
かつてより地球規模の変動が、そこに生きるすべての生き物たちの未来のゆくえを決定づけてきました。
いつどこで、どんなふうにそれが起こるのかは、本当には誰にも予測がつかない事です。
これを引き合いに出すのはいささか強引かとも思えるのですが、地球が、その大いなる、途方もない時間の流れの中で、生き物すべてを育んだり淘汰したりするなら、現在それに干渉して生態系を荒らし、遺伝子を操作して、結局生命や大地を汚染してきたとも言える先進国たる私たちの暮らしは、自然の法則性や流れというものから外れていると言えるでしょう。 もちろん私を含めてほとんどの人が、作為的な思いなど無く、単純に良いと言われた物を信じて使う、繁栄を願うなどの純朴な心から、知らずに汚したり壊したりしてしまった事も多いのでしょう。
近年荒ぶる気象や地震などの災害は、自然に対する私たちのおごりや慢心の結果である事への警告なのだという、ご神託やお筆先があるといいます。
恐竜の時代は隕石の衝突により、完全に幕引きを迎えました。 私たちの時代には火の兵器が、あるいはそれと同等なエネルギーを有する施設が身近にある生活とも言えます。
それらをどのように考え、扱っていくか否かという事こそが、私たちが本当に望んでいる未来を創れるかどうかの、カギそのものではないか思うのです。
過去は変えられないけれど・・・
本当は、誰もが分かっている当たり前の事ですが、また、あらためて考えてみました。
過去は・・・過去のすべてはもう起こってしまった事で、それを変える事はできません。
私たちにできるのは現在(今)をどう生きていくかという事と、その結果としての未来を、自分と、そしてすべての生命にとって、善きものへと変化させていく事だけです。
フィンドホーンの初期の創設期に関わった重要な人物のひとりに、D.シュパングラーさんという人がいます。
彼はその著書の中で、こんなふうに話をしています。
「(時代が変化しようとも)、私たちの生活にどんな違いが起こるというのでしょうか? 私たちはやはり食べなくてはいけませんし、食事の用意だってしなければなりません。 また、子育てもしなくてはならないし、・・・守るべき価値だってあるでしょう。 (時代が移り変わっても) 人は、基本的には、同じことをしていかなくてはなりません。 愛を表現し、誠実に生き、隣人を愛し、世界を大切にしていかなければならないのです。・・・
・・・(続き) 私が思うに、もっとも重要な問いは、『変わらないものは何なのだろうか?』 というものです。 なぜなら、同じもの、変わらないものから始めれば、私たちが今している事、すでに持っているものに焦点をあてて、そこから出発する事ができるからです。・・・」
過去世退行にも言えることですが、私たちにできるのは、いつの場合も過去から学ぶ事であり、それを受けて、これからの未来の善き指針とする事なのではないかと思います。
もちろん、良き思い出は力・・・温かいエネルギーです。 単に思い出すという事にも、とても価値があると思います。 どんな理由があって、何を知りたいかという事にもよりますが、私たちの潜在意識、あるいは、その人を守護している高い次元の存在やガイドは、本当の意味で常にあなたを守ってくださっているので、今見る、知るべき以外の情報は訪れないようになっており、私たちをおびやかすことはできません。
きょうの休みにわたしがしようと思っている事は、簡単なりんごのパウンドケーキを作ることと、親しい人への、手書きの手紙を書くこと、そして勉強・・・むむむ・・・。
きょうが休日のみなさんも、お仕事の方も、充実した一日を過ごすことができますように!